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|位置|BGCOLOR(#555):地名|CENTER:説明|h
|1-A|敦煌|シルクロード上のオアシス都市&br;元は異民族の支配下にあったが漢の武帝の遠征の結果、郡が置かれた|
|1-B|酒泉|シルクロード上のオアシス都市&br;酒の味がする水が湧く泉があったことから命名されたという|
|1-C|居延|三国時代には巨大な湖・居延沢(居延海とも)があったが、&br;14世紀頃砂漠化に伴って湖は消滅した|
|1-I|雁門|并州にあった郡。北方から異民族が進出していた&br;魏の名将・張遼の出身地でもある|
|1-J|北平|幽州の中心都市で、漢の次代に右北平郡が置かれた&br;呉の武将・程普の出身地でもある|
|1-K|遼西|幽州に属する郡。漢民族と異民族が雑居していた&br;後漢末の群雄・公孫瓚はこの地の出身である|
|2-B|張掖|涼州に属するオアシス都市&br;董卓配下の将・郭汜らはこの郡の出身である|
|2-C|武威|涼州の主要都市のひとつ&br;曹操に対抗した張繍や賈詡らは、この郡の出身である|
|2-G|太原|并州に属する郡で中心都市は晋陽。&br;戦国時代に趙の首都が置かれた重要都市|
|2-G|太原|并州に属する郡で中心都市は晋陽&br;戦国時代に趙の首都が置かれた重要都市|
|2-H|常山|冀州に属する郡&br;蜀漢の猛将・趙雲は常山郡真定県の出身である|
|2-I|渤海|黄河が注ぐ渤海湾に面した郡で、中心都市は南皮&br;後漢末の群雄・袁紹が当初、本拠とした地でもある|
|2-J|北海|青州に所属する国。著名な学者の孔融が相を務めたこともある&br;劉備配下の将・孫乾の出身地でもある|
|2-K|東莱|青州所属の郡。孫策と戦った劉繇や、&br;その配下の将だった太史慈の出身地|
|3-C|金城|涼州所属の郡。馬騰・馬超父子それぞれと組み&br;反乱を起こした韓遂は、この郡の出身である|
|3-D|天水|涼州に属する郡で「漢陽」ともいう&br;後期の蜀漢を支えた武将・姜維の出身地でもある|
|3-E|安定|涼州の主要都市のひとつで漢の将・皇甫嵩の出身地でもある&br;魏の時代には雍州に移管された|
|3-F|弘農|司隷校尉管轄下の郡&br;董卓に配された皇帝・劉弁は弘農王に任命されている|
|3-G|河東|岩塩の産地である解池がある解県は、関羽の出身地として有名&br;他に魏の将・徐晃も河東の出身である|
|3-H|河内|都・洛陽から見て黄河の対岸にある孟津を含む郡&br;司馬懿の一族の本貫(出身地)でもある|
|3-I|東郡|兗州所属の郡で中心都市は濮陽&br;呂布の軍師・陳宮や曹操の腹心の程昱、呉の潘璋らの出身地|
|3-J|琅邪|徐州に含まれる郡で、諸葛亮の出身地として有名&br;琅邪出身の王氏らは南北朝時代貴族として活躍した|
|4-D|隴西|涼州に属する郡で董卓の出身地でもある&br;諸葛亮が北伐の際に攻撃を仕掛けた|
|4-E|武都|漢中に隣接する要衝。諸葛量の北伐に&br;従軍した陳式(史書「三国志」の作者・陳寿の父)が攻略した|
|4-F|長安|前漢王朝の首都。董卓は朝廷を制圧した後、&br;自らの本拠に近い長安に強制的に遷都させた|
|4-G|洛陽|後漢王朝の首都。董卓の乱により廃墟と化したが、&br;その後復興し、曹丕が建てた魏帝国の首都となった|
|4-H|許昌|後漢最後の首都。董卓死後の混乱で流浪していた献帝が、&br;曹操の擁護の下に居を定めた|
|4-I|陳留|猛将・典韋の出身地。後漢最後の皇帝となる献帝は、&br;董卓に擁立される前は陳留王の位にあった|
|4-J|沛国|漢王朝を建てた高祖・劉邦の出身地&br;曹操や夏侯惇の一族も本拠とする。神医・華佗もこの地の出身|
|4-K|東海|徐州に所属する郡。劉備の配下となる糜竺や&br;孫策と戦ったのち曹操に仕えた王朗などの出身地|
|5-C|梓潼|劉備が益州に進攻した際、劉璋軍との激戦が行われた地&br;のち広漢郡から分割して梓潼郡とした|
|5-D|陰平|諸葛亮が北伐の際に攻略道として確保した地&br;のち鄧艾が蜀を攻めた際には逆方向の進攻路となった|
|5-E|漢中|張魯が布教した五斗米道と呼ばれる教団の本拠地&br;諸葛亮は北伐の際、要地・漢中の確保にこだわった|
|5-F|上庸|荊州と益州の境にあり、魏と蜀が争奪し合った地&br;太守・孟達を司馬懿が電光石火の速さで攻略した|
|5-G|襄陽|荊州の中心都市。劉表の統治下、戦乱の中でも学問の栄える&br;文化都市となった。龐統や馬良の出身地|
|5-H|潁川|予州に所属する郡。曹操を支えた文官である&br;荀彧や鍾繇・郭嘉などの優秀な人材を輩出した|
|5-I|汝南|呂蒙・袁紹・袁術らの出身地&br;黄巾の乱では激戦が演じられ、平定後も黄巾賊の残党が長く占拠した|
|5-J|九江|揚州所属の郡。中心都市の寿春は袁術が本拠として皇帝を称した。&br;呉の武将・周泰や蒋欽の出身地|
|5-K|建業|孫権が張紘の助言で、秣陵から改名して本拠とした都市&br;現在の南京。のち南朝歴代の首都となる|
|6-C|南安|内陸塩田や茶の産地として知られる郡&br;四川の霊峰として名高い峨眉山がそびえる|
|6-D|成都|四川盆地の中心都市&br;古代から栄え「天賦の国」と呼ばれた巴蜀の中心地|
|6-E|巴西|呉の猛将・甘寧や、蜀漢の武将・王平らの出身地&br;元は巴郡であったが後漢末に3つに分割された|
|6-F|永安|元は白帝城と呼ばれ、劉備の最期の地となった&br;夷陵の戦いののち、永安と改名された|
|6-G|江陵|荊州に属する南郡の中心都市&br;赤壁の戦いののち、曹操から守備を任された曹仁が守り抜いた|
|6-H|江夏|荊州の要地。劉璋の出身地&br;劉表が任命した太守・黄祖は、孫策や孫権と壮絶な攻防を繰り返した|
|6-I|廬江|揚州に属する長江沿いの郡&br;呉の将・周瑜や丁奉、陳武、謎の仙人・左慈の出身地でもある|
|6-J|柴桑|長江沿いにあった孫呉水軍の前線基地があった郡&br;周瑜や孫権が遠征の際、たびたび駐屯した|
|6-K|呉|孫氏一族や陸遜の出身地。呉の四姓といわれた&br;名族「張陸朱顧」の4氏は後世まで貴族として活躍した|
|7-D|建寧|益州南部。漢人のほか少数民族も雑居する&br;南中王と称される孟獲はこの地の出身ともいわれる|
|7-G|武陵|荊州南部の郡。赤壁の戦いの後、&br;荊州に進出した劉備の先鋒として、張飛が太守・金旋を降している|
|7-H|長沙|荊州南部。太守・韓玄は劉備と敵対&br;配下の黄忠が関羽と互角に戦うが、魏延の寝返りにより陥落した|
|7-I|予章|揚州に属する郡。中心都市は南昌&br;諸葛亮の叔父・諸葛玄が太守を務めていた地|
|7-J|会稽|漢の将軍・朱儁や呉の董襲らの出身地&br;戦国時代に越王・勾践が呉に敗れた「会稽の恥」の故事で有名|
|8-B|永昌|益州南部の郡。元は建寧郡の一部であったが&br;諸葛亮の南方制圧ののち、分割された。蜀の呂凱の出身地|
|8-C|雲南|益州南部。諸葛亮が雍闓や孟獲の乱を制圧したのち&br;建寧郡から分割された。少数民族が多く住む|
|8-F|桂林|交州の郡。カルスト地形の柱が林立し、&br;美しい鍾乳岩洞があることから古来より絶景をうたわれた|
|8-G|零陵|荊州南部の郡。赤壁の戦いののち勢力を拡げた劉備が占拠した&br;呉の猛将・黄蓋の出身地でもある|
|8-H|南海|現在の香港・マカオなどを含む郡。交州に属した&br;インド方面との交易が行われていたともいう|
|8-I|廬陵|孫策が予章郡の一部を分割して設置した郡&br;山越と呼ばれる民族が多く住み、呉の武将たちと戦った|
|9-F|交趾|現在のハノイ。「三国志演義」には登場しないが、&br;太守の士燮はベトナムに儒教を伝えたことで有名|

RIGHT:最終更新日:2014/03/19
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