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出身地一覧
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1 (2014-03-19 (水) 11:22:54)
[添付]
位置
地名
説明
1-A
敦煌
シルクロード上のオアシス都市
元は異民族の支配下にあったが漢の武帝の遠征の結果、郡が置かれた
1-B
酒泉
シルクロード上のオアシス都市
酒の味がする水が湧く泉があったことから命名されたという
1-C
居延
三国時代には巨大な湖・居延沢(居延海とも)があったが、
14世紀頃砂漠化に伴って湖は消滅した
1-I
雁門
并州にあった郡。北方から異民族が進出していた。
魏の名将・張遼の出身地でもある
1-J
北平
幽州の中心都市で、漢の次代に右北平郡が置かれた
呉の武将・程普の出身地でもある
1-K
遼西
幽州に属する郡。漢民族と異民族が雑居していた
後漢末の群雄・公孫瓚はこの地の出身である
2-B
張掖
涼州に属するオアシス都市。
董卓配下の将・郭汜らはこの郡の出身である
2-C
武威
涼州の主要都市のひとつ。
曹操に対抗した張繍や賈詡らは、この郡の出身である
2-G
太原
并州に属する郡で中心都市は晋陽。
戦国時代に趙の首都が置かれた重要都市
2-H
常山
冀州に属する郡
蜀漢の猛将・趙雲は常山郡真定県の出身である
2-I
渤海
黄河が注ぐ渤海湾に面した郡で、中心都市は南皮
後漢末の群雄・袁紹が当初、本拠とした地でもある
2-J
北海
青州に所属する国。著名な学者の孔融が相を務めたこともある
劉備配下の将・孫乾の出身地でもある
2-K
東莱
青州所属の郡。孫策と戦った劉繇や、
その配下の将だった太史慈の出身地
3-C
金城
涼州所属の郡。馬騰・馬超父子それぞれと組み
反乱を起こした韓遂は、この郡の出身である
3-D
天水
涼州に属する郡で「漢陽」ともいう
後期の蜀漢を支えた武将・姜維の出身地でもある
3-E
安定
涼州の主要都市のひとつで漢の将・皇甫嵩の出身地でもある
魏の時代には雍州に移管された
3-F
弘農
司隷校尉管轄下の郡
董卓に配された皇帝・劉弁は弘農王に任命されている
3-G
河東
岩塩の産地である解池がある解県は、関羽の出身地として有名
他に魏の将・徐晃も河東の出身である
3-H
河内
都・洛陽から見て黄河の対岸にある孟津を含む郡
司馬懿の一族の本貫(出身地)でもある
3-I
東郡
兗州所属の郡で中心都市は濮陽
呂布の軍師・陳宮や曹操の腹心の程昱、呉の潘璋らの出身地
3-J
琅邪
徐州に含まれる郡で、諸葛亮の出身地として有名
琅邪出身の王氏らは南北朝時代貴族として活躍した
4-D
隴西
涼州に属する郡で董卓の出身地でもある
諸葛亮が北伐の際に攻撃を仕掛けた
4-E
武都
漢中に隣接する要衝。諸葛量の北伐に
従軍した陳式(史書「三国志」の作者・陳寿の父)が攻略した
4-F
長安
前漢王朝の首都。董卓は朝廷を制圧した後、
自らの本拠に近い長安に強制的に遷都させた
4-G
洛陽
後漢王朝の首都。董卓の乱により廃墟と化したが、
その後復興し、曹丕が建てた魏帝国の首都となった
4-H
許昌
後漢最後の首都。董卓死後の混乱で流浪していた献帝が、
曹操の擁護の下に居を定めた
4-I
陳留
猛将・典韋の出身地。後漢最後の皇帝となる献帝は、
董卓に擁立される前は陳留王の位にあった
4-J
沛国
漢王朝を建てた高祖・劉邦の出身地
曹操や夏侯惇の一族も本拠とする。神医・華佗もこの地の出身
4-K
東海
徐州に所属する郡。劉備の配下となる糜竺や
孫策と戦ったのち曹操に仕えた王朗などの出身地
5-C
梓潼
劉備が益州に進攻した際、劉璋軍との激戦が行われた地
のち広漢郡から分割して梓潼郡とした
5-D
陰平
諸葛亮が北伐の際に攻略道として確保した地
のち鄧艾が蜀を攻めた際には逆方向の進攻路となった
5-E
漢中
張魯が布教した五斗米道と呼ばれる教団の本拠地
諸葛亮は北伐の際、要地・漢中の確保にこだわった
5-F
上庸
荊州と益州の境にあり、魏と蜀が争奪し合った地
太守・孟達を司馬懿が電光石火の速さで攻略した
5-G
襄陽
荊州の中心都市。劉表の統治下、戦乱の中でも学問の栄える
文化都市となった。龐統や馬良の出身地
5-H
潁川
予州に所属する郡。曹操を支えた文官である
荀彧や鍾繇・郭嘉などの優秀な人材を輩出した
5-I
汝南
呂蒙・袁紹・袁術らの出身地。黄巾の乱では激戦が演じられ、平定後も黄巾賊の残党が長く占拠した
5-J
九江
揚州所属の郡。中心都市の寿春は袁術が本拠として皇帝を称した。
呉の武将・周泰や蒋欽の出身地
5-K
建業
孫権が張紘の助言で、秣陵から改名して本拠とした都市
現在の南京。のち南朝歴代の首都となる
6-C
南安
内陸塩田や茶の産地として知られる郡
四川の霊峰として名高い峨眉山がそびえる
6-D
成都
四川盆地の中心都市
古代から栄え「天賦の国」と呼ばれた巴蜀の中心地
6-E
巴西
呉の猛将・甘寧や、蜀漢の武将・王平らの出身地
元は巴郡であったが後漢末に3つに分割された
6-F
永安
元は白帝城と呼ばれ、劉備の最期の地となった
夷陵の戦いののち、永安と改名された
6-G
江陵
荊州に属する南郡の中心都市
赤壁の戦いののち、曹操から守備を任された曹仁が守り抜いた
6-H
江夏
荊州の要地。劉璋の出身地
劉表が任命した太守・黄祖は、孫策や孫権と壮絶な攻防を繰り返した
6-I
廬江
揚州に属する長江沿いの郡
呉の将・周瑜や丁奉、陳武、謎の仙人・左慈の出身地でもある
6-J
柴桑
長江沿いにあった孫呉水軍の前線基地があった郡
周瑜や孫権が遠征の際、たびたび駐屯した
6-K
呉
孫氏一族や陸遜の出身地。呉の四姓といわれた
名族「張陸朱顧」の4氏は後世まで貴族として活躍した
7-D
建寧
益州南部。漢人のほか少数民族も雑居する
南中王と称される孟獲はこの地の出身ともいわれる
7-G
武陵
荊州南部の郡。赤壁の戦いの後、
荊州に進出した劉備の先鋒として、張飛が太守・金旋を降している
7-H
長沙
荊州南部。太守・韓玄は劉備と敵対
配下の黄忠が関羽と互角に戦うが、魏延の寝返りにより陥落した
7-I
予章
揚州に属する郡。中心都市は南昌
諸葛亮の叔父・諸葛玄が太守を務めていた地
7-J
会稽
漢の将軍・朱儁や呉の董襲らの出身地
戦国時代に越王・勾践が呉に敗れた「会稽の恥」の故事で有名
8-B
永昌
益州南部の郡。元は建寧郡の一部であったが
諸葛亮の南方制圧ののち、分割された。蜀の呂凱の出身地
8-C
雲南
益州南部。諸葛亮が雍闓や孟獲の乱を制圧したのち
建寧郡から分割された。少数民族が多く住む
8-F
桂林
交州の郡。カルスト地形の柱が林立し、
美しい鍾乳岩洞があることから古来より絶景をうたわれた
8-G
零陵
荊州南部の郡。赤壁の戦いののち勢力を拡げた劉備が占拠した
呉の猛将・黄蓋の出身地でもある
8-H
南海
現在の香港・マカオなどを含む郡。交州に属した
インド方面との交易が行われていたともいう
8-I
廬陵
孫策が予章郡の一部を分割して設置した郡
山越と呼ばれる民族が多く住み、呉の武将たちと戦った
9-F
交趾
現在のハノイ。「三国志演義」には登場しないが、
太守の士燮はベトナムに儒教を伝えたことで有名
最終更新日:2014/03/19